7月のひと
下田治美(しもだ・はるみ)
{1947.7/25〜}
現役の小説家であり、エッセイストです。
私が初めて彼女の作品に出会ったのは、もう20年ほど前、「熱血母主家庭」シリーズのうちの一冊でした。
ひとり息子がまだお腹にいるときに離婚し、以来ずっと、「モノ書き」をしながら、東京の2DKの団地で、ひとり子育てに奮闘する「はるさん」。
なかなか面白いな、と彼女の著作を辿ったところ、のちに映画にもなった「愛を乞うひと」を見つけ、私はそれで、すっかり彼女の虜になりました。
実は私も、幼いころは、母親に可愛がられた記憶が殆どなく、しかも、この母・・・「背が高く、均整のとれたプロポーションの美人」でありながら、娘に対しては紛れもない「暴力オンナ」であった主人公の母親が、自分の母と重なってしまったため、この物語は、とても他人事とは思えなかったのです。
ひっきりなしに涙を流しつつも、読みながら、一種不思議なカタルシスのようなものを感じました。
・・・「そうだ、このやわらかさなのだ、おかあさんというのは。子どもが抱きついたとき、自分のからだの肉をほんのひとけずりして、そのくぼみにちいさなからだを埋めこむことができるひとなのだ。」
・・・「おぼえてよ。死ぬまでにおぼえてよ、ひとの愛しかたを。」
そのような育てられ方をした私が、のちに子どもを持ったときに、彼らに対して、かつて自分が母親にされたのと同じようなことをせずにすんだのは、この作品のお陰かもしれません。
「はるさん」・・・心から、感謝いたします。
その後、「だれだって、純愛上手」や「離婚聖書(バイブル)」などにも、大変お世話になりました。 更に彼女は、長年うつ病を持っておられ、その経験をふまえて「精神科医はいらない」、加えて、97年の脳動脈瘤の体験から「やっと名医をつかまえた」という、2冊の名ルポエッセイを書かれました。
これらはどちらも、日本のすべての医療関係者と患者の方々に、ぜひ読んでいただきたい、と切実に思います。
そして今また彼女は、息子さんを守るため、裁判で闘っておられます。
昨年3月、某社の派遣社員となっていた彼は、「サービス早出をしなかった」ことで、実家である「はるさん」宅にまで乗り込んで来た上司によって、ひどい暴行を受けました。
「血を吐く息子を見てから、原稿が書けなくなった」という「はるさん」。
どんなにうつ病の重いときでも、必ず朝9時から夕方5時までは机に向かっていたという、あの生真面目で気丈な彼女が、書けなくなってしまったのです。
これまでずっと、闘う母親のお手本であり続けて下さった「はるさん」、どうか、お元気で、頑張って下さい。
微力ながら、応援させていただきます。
けれども、「はるさん」ご本人には、一日も早く、平穏な日々が訪れますように。
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文月の句
紙コップ真白く積まれ夏祭
子を叱りすぎし一日の髪洗ふ
引算の答さみしや蟻の列
三伏の大河ゆるりと海に入る
大薬缶黝々とある土用かな
土用蜆ぷつりと泡を吐きにけり
強がりを見破られたるソーダ水
腹這ひのをとこの嵩や百日紅
砂日傘爪先みんな海を向き
どこへでも行ける切手や雲の峰
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今月の長い蛇足
「ぼくがタバコを吸う理由」
その日ぼくは、期末試験のため、早く帰宅した。
母は、徹夜をしたらしく、仕事部屋のベッドで眠っていた。
室内はどんよりとして、生暖かい。青いカーテン越しに、薄く日が差し込んでいる。
まるで海の中のようだ。
ぼくも、寝不足で少しだるかったので、そのベッドのすみに腰をおろした。
空腹だったが、母を起こすのもためらわれた。母は、とびきり寝起きが悪いのだ。どうせ、子どもじゃあるまいしとか、自分のことは自分でとか、ひとくさり言われるに決まっている。
で、そのままぼんやりと、母の寝顔を眺めていた。
考えてみると、それまで、母の顔をゆっくり観察したことなどなかった。そんな必要は感じなかったし、とにかく母は母の顔をしていると思っていたのだ。
とびきり美人というわけではないが、かといって不細工でもない、ぼくによく似た顔だち・・・二十五のときにぼくを産んだから、もうすぐ四十歳になるはずだ。でも、まだそれほどシワもないし、化粧したりすると三十そこそこにも見えるらしい。自分の親ながら、なかなかのものだと思う。気が若いというか、頭が古くないし、画家だということで、ぼくの友達連中にも受けがいい。でも彼らは、アーティストの扱いにくさを知らないのだ。要するに、いつだって、自分とその作品のことしか頭にないんだから・・・。
ふと、母はどうして、父と結婚したのだろうと思った。
父は、区役所に勤めている。確か、母より四つ上だ。真面目を絵に描いたような人で、さほど風采も上がらない。母とはまるで正反対で、地味で、口数が少なく、とりたてて趣味もなければ、友達づきあいなどもしない。ぼくも、あまり話をしたことがないので、実際のところ、父が何を考え、何を楽しみに生きているのか、よくわからない。
母は、そんな父に、自分にないものを求めたのだろうか。「芸術家同士なんて、どう考えても暮らしていけないわよ」とは、よく言うのだが。いやそれとも、昔はあの父も、それなりに魅力的な男だったのだろうか。
一緒になった頃、母は、昼は画廊で働き、夜は美術学校に通っていたそうだ。そのため当時は、ほとんど父が家事をやっていたという。ぼくにはとても信じられない。そんな父の姿を見た記憶はまるでないし、今の父は、家では何もしないからだ。母の方も、忙しいとか言って、長い間何もかも放ったらかしにしていることが多いので、見かねて片付けはじめるのは、近頃ではたいていぼくだ。
そういえば、前に母が、友達に電話で、「稼ぎは悪いし、夜はさっさと寝てしまうし、本当に何の役にもたたないんだから」と言っていたことがある。そのときは笑っていたし、たぶん冗談だったのだとは思うけれど、それでも母は、父のことを、本気でいくらかはそういうふうに思っているんじゃないかと疑われるフシがある。
「夜は・・・」というは、おそらくあのことだろう。そのくらいはぼくにもわかる。同じクラスの某は、もうやってみたそうだ。女の子ならもっと・・・。いやそれはともかく、やはり母は、父が自分の作品を理解してくれないのが物足りないようだ。ふたりでそういう話をしているところなど、ぼくは見たことがない。それどころか、ふたりの会話自体が、ますます少なくなっていくように思える。
でも、それならなぜ母は、父と一緒に暮らし続けているのだろう。経済的にも、何とかひとりでやっていけるはずだ。世間体? まさか。それなら、ぼくがいるからだろうか。それに、これまでずっとそうしてきたし、特に別れないといけない理由もないからだろうか。夫婦って、そんなものなんだろうか。でも、もっとずっと仲の悪い両親を持った、かわいそうな友達だっている・・・。
そのとき、母が寝返りを打った。
顔がこちら向きになり、薄いまぶたの下で、かすかに眼球が動いたのがわかった。
ぽってりとした花びらのような口もとがゆるんでいる。
ぼくはその唇に、自分の唇をおしあてた。半分は、冗談のつもりで。
母は、ぴくりとして、眠そうに目を閉じたまま、「今日は早いのね」と言った。そしてそのまま、ぼくの首に腕を巻きつけた。
母が驚いて目を開き、何か声を出そうとしたのと、ぼくが母の頬を両手でおさえてもう一度強くキスをしたのは、ほとんど同時だった。
次の瞬間、ぼくは部屋を飛び出した。
キッチンの灰皿には、淡く紅のついた吸い殻が何本かあった。母は決して、仕事部屋ではタバコを吸わないのだ。作品が汚れるから。
ぼくはそのうち、なるべく長そうなのを一本選び、口に運んでゆっくりと火をつけた。
レースのカーテンが南風にあおられて、差し込む光がきらきらと踊っている。
もうすぐ夏休みだ、とぼくは思った。
(そのまた蛇足)
甘い・・・ですね。
子どもがクリスマスに飲む、シャンペンと称する物のような・・・。
いやしかし、今これを上の息子が読んだら、寝首を掻かれるおそれがあるので、私にとっては、ある意味、怖いシロモノではあります。
言うまでもなく100%フィクションですし、実は、書いたのは、もう15年も前のことです。
長い間寝かせていても、熟成はしなかったようですね。
・・・来月はもっと辛口のものをお届けする予定です。(弁解)
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