10月のひと
澁澤龍彦
{1928.5/8〜1987.8/5}

昭和3年生まれで、ちょうど私の実父と同い年なこともあって、勝手に「魂の父」と呼ばせていただいております。
(ちなみに、昭和6年生まれの「魂の母」の方は、詩人の谷川俊太郎さんです。)
ご存知の方も多いかと思いますが、「稀代の異端のカリスマ」であり、「歩くダンディな書斎」であり、自ら命名した王国「ドラコニア」の王であり・・・。
私と同じくらいか少し上までの年代の、サブカルチャー好みの活字中毒者には、多大な影響を与えた人物です。
著書も評論関係も、既に膨大な量が出版されているので、ここではもうくだくだしく述べることは控えて、これまであまり語られていないと思われる、ふたつの点に絞りたいと思います。
まず、彼が生涯、父親となることを拒否し続けたこと。
前妻であった、翻訳家・詩人の矢川澄子さんは、自著で、妊娠するたびに何度も中絶手術を受けたと書いておられます。
これは・・・彼独特の、自分の「血」を遺したくないというアンチ・ヒューマニズムに由来することなのか、それとも単に、「父親」となり「家庭」をもつことはダンディではない、という美学によるのか・・・。
いま風に言えば、確かにナルシストでありピーターパンであったことには間違いないと思うのですが。(41歳のときのセミヌード写真の綺麗なこと!)
ともあれ、男性でない私にとっては、おそらく永遠の謎といえます。
もうひとつは、彼の、あまりにも見事な闘病の様と、死に方。
喉頭癌のために声帯を失う手術を受けながら、直後に友人と「幻覚がおもしろかったよ」と筆談し、「呑珠庵」、「無聲道人」などと号し・・・。
自らの死に至る病さえ手玉に取って面白がっていたかのように見えますが、やはり人間である以上、いくらかの葛藤はあったはずだと思うのです。
それを、まわりの人たちには気取られないように、力技のフェイクというかポーズで、ねじ伏せてしまう精神力。
凄いと思います。
自分のスタイルを、どこまでも貫こうとしたのでしょう。
そして、ある日突然、病院のベッドで読書中に、頚動脈瘤破裂のため、一瞬のうちに静かに逝ってしまうのです。
できればそんなふうに死にたいものだと思います。




神無月の句

十月や城跡に来る曲馬団

一人子のひとりごとぐせ昼の月

木の実独楽晩成の子と思ふべし

次男坊に生まれどんぐり握らさる

星月夜子どものをらぬ子供部屋

ユダの如く歩みて木の実時雨かな

柿喰ふや生きるとは音たてること

コバルトに暮るる花野や吾も青

吾亦紅夢には翳のなかりけり

実家とは母のゐる家青蜜柑


今月の長い蛇足

 「東の国のトロルと西の国の王子」

 昔々のお話です。
 西の国で、小さな子どもたちが次々に攫われるという事件が起こりました。
 それも、ただの人攫いではありません。恐ろしいトロルが、東の方から空を飛んでやって来て、あっと言う間に子どもを抱えて行ってしまうのです。
 西の国の人々はみな、すっかり怯えて、子どもたちを家の外に出さないようにしました。
 するとトロルは、お城の庭に飛び込んで、王女を攫って行ってしまいました。
 さあ大変です。
王もお后も、可愛い末っ子の王女のことが心配で心配で、夜も眠れません。
そこで、攫われた王女のいちばん上の兄である王子は、両親のところへ行って、言いました。
「お父様、お母様、私を東の国へ行かせて下さい。あのトロルは、きっとそこから来たに違いありません。私がトロルをやっつけて、妹たちを取り返して参ります」
 王もお后も、驚いて王子を止めようとしました。けれども王子の決心は堅く、どうしても行くのだと言ってききません。
 とうとう王は言いました。
「それではお前に、東の国へ行ってもらうことにしよう。ひいお爺様が悪い竜を退治した時に使われた、この国の宝である魔法の剣を持って行くがよい。それに、いちばん良い馬と船と、いちばん強い騎士も一緒にな」
 こうして王子は、国中の人たちに見送られて、東の国へと向かいました。
 七日と七晩航海をして、八日目の夕方、船は東の国の港に着きました。
 上陸した王子は、仰天しました。町の人たちがみんな、石になっているのです。それどころか、犬も鳥も、花も木も、命あるものはひとつ残らず石になっていて、動くものは何もありません。
「これは一体、どうしたことだろう。誰かに悪い魔法でも掛けられたのだろうか」
 そう王子が言うと、騎士も言いました。
「これもきっと、あのトロルめの仕業でございましょう。早く見付けて、その剣で切り刻んでやって下さいませ」
二人は、まずお城へ行ってみることにしました。
立派なお城の中に入ると、広い庭の方から、子どもの笑い声がします。
王子と騎士は、驚いてそちらへ駆けて行きました。
すると、どうでしょう。庭では、王女をはじめ西の国から攫われた子どもたちが、みんな元気で、楽しそうに遊んでいるではありませんか。
「あら、お兄様。私をお迎えに来て下さったのですか」
と王女は、王子を見付けて言いました。
「そうだよ。みんな無事で良かった。お父様もお母様も、とても心配していらっしゃる。さあ早く、みんなで西の国へ帰ろう」 
 そう王子が言うと、王女は答えました。
「はい。でも、ここにこうして王子様と王様を残して行くのは、可哀想です。お兄様、お二人を、私たちと一緒に西の国にお連れしてはいけないでしょうか」
「その、王子様と王様は、どこにいらっしゃるのだね」
 王女は、自分たちのうしろにある、可愛い石の像を指差しました。
「こちらが、この国の王子様です。私たちがここで遊んでいると、ほんの少しだけ、嬉しそうな顔をなさるのですよ。それから、王様は、玉座にいらっしゃいます。私たちを無理矢理ここに連れて来てすまなかったと何度も謝って下さったし、それはそれはお優しい・・・」
王女の言葉が終わらないうちに、王子は、魔法の剣を抜いて叫びました。
「ではあのトロルは、この国の王だったのか! 何ということだ。すぐに成敗してやるぞ!」
 王女は、王子の腕に縋りついて言いました。
「お兄様、待って下さい。あの王様は魔法であんな姿にされておられるだけで、本当にご立派なお方なのです。私たちを攫ったのも、可哀想な王子様を喜ばせたかったから、ただそれだけなのですよ」
「いや、お前は騙されているのだ」
言うが早いか、王子は妹の手を振りほどき、騎士を従えて宮殿に飛び込んで行きました。
大広間の奥の玉座には、王女の言った通り、恐ろしい姿のトロルが座っていました。
王子は、トロルに向かって剣を突きつけ、声を張り上げました。
「私は西の国の第一の王子だ。お前がこの国の王だろうと何だろうと、すぐに妹たちを返せばよし、返さないならば、この剣をお見舞いするぞ」
トロルは、静かに立ち上がると、玉座から降りて来ました。
「王子、お待ちしておりましたぞ。さあ早く、その剣で私を殺して下さい」
王子も騎士も、トロルがそんなことを言うとは思わなかったので、言葉を失い、顔を見合わせました。
「私が死ねば、この国に掛けられた呪いが、全て解けるのです。ああ、どんなに長い間、この時を待っていたことか。さあ、早く、その剣を私に」
王子は、剣を鞘に収めて言いました。
「もう少し詳しく話していただけませんか。そもそも、この国は何故、誰に呪いを掛けられたのです。そして、その呪いを解くためには、あなたが死ぬしかないのですか」
「それでは、何もかもお話ししましょう」
と、トロルの王は答えました。
「もともとこの東の国は、とても豊かで、人々はみな仲良く暮らしておりました。私も、優しい后と賢くて可愛い一人息子を持って、この上なく幸せでした。それである時、得意のあまり、神に対してひどく失礼なことを口走ってしまったのです。神はお怒りになり、国中の生きとし生けるものを全て石に変え、私をこんな浅ましい姿にしてしまわれました。そして、西の国にある魔法の剣がこの広間で人の命を奪う時、呪いは解けるだろうと仰せになったのです」
「なるほど、そうだったのですか。では、妹たちを攫ったのは、私を・・・いやこの剣を、ここに来させるためだったのですね」
 そして王子は、長い間考えてから、言いました。
「私には、あなたを殺すことはできません。このまま、妹たちを連れて帰ることにします」
 トロルの王も、しばらく考えて、言いました。
「ではそうなさるがよろしい」
 そうして、王子と騎士は、子どもたちを船に乗せて、西の国を目指しました。
 けれども、沖に出て、東の国が見えなくなってくると、不思議なことが起こりました。
 王女も、他の子どもたちも、騎士も、船の水夫たちも、次々に口がきけなくなり、だんだん動けなくなって、とうとうみんな石になってしまったのです。
「何ということだ!」
 王子は叫びました。
「私たちにまで呪いが掛かってしまったとは。私だけが助かったのは、きっとこの魔法の剣のお陰だろう。こうなったら、やはりあの不運な王を殺めるしかないのか」
 王子は、腕を組んで空の星を見上げながら、王の言った言葉を思い出し、じっと考えました。
 やがて、はたと手を叩くと、急いで船をもう一度東の国へと向けました。
 王子が城の大広間に入って行くと、トロルの王は、またゆるゆると玉座を降りて来ました。
「やはり戻って来られましたな。これで、私を殺すしかないことが、おわかりになったでしょう」
 王子は、淀みなく答えました。
「いいえ。私は、こうする方が良いと思います。なぜなら、幼い王子にはまだお父様が必要だし、私があなたを手にかければ、この国の人々は、私や西の国を恨むようになるかもしれませんから」
 王子は、静かに魔法の剣を抜くと、自分の胸に突き立てました。
 王子の血が床を染めると、広間にあったたくさんの石の像は、みるみるうちに動き出し、もとの人間に戻りました。トロルも、気品ある王の姿になりました。
 王は、泣きながら、王子を抱き起こしました。
 そして、王の涙が王子の亡骸にかかると、それはふわりと宙に浮き上がり、そのままどんどんと空に昇って、魔法の剣と一緒に、天の星になりました。
 それがあの、今も東の空に見える「剣をもつ王子の星座」なのですよ。



(そのまた蛇足)
ファンタジーですねえ、メルヘンですねえ・・・。
裏話になりますが、もともと今月は、メインの「ひと」のところが、宮沢賢治の予定でした。
そのためこちらも童話風のものにしたわけですが、たいていの皆さんがご存知の理由で、急遽賢治の方をスイッチする必要が生じたものの・・・。
澁澤龍彦の最後の小説である「高丘親王航海記」にも通じる部分があるかもと、半ば強引にこじつけ、多少文体を変えて、そのまま載せる運びとなりました。

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