11月のひと

小林恭二
{1957.11/9〜}

現代の日本の作家では、いちばん気に入っている方のうちのひとりです。
1984年に「電話男」で海燕文学新人賞を受賞されて以来ずっと注目しておりますが、同世代で巷でライバル視されている島田雅彦さんよりも、私とは「肌が合う」ように思います。
東大卒とはいえ、兵庫県出身の方だからでしょうか。
ユーモアのセンスや文体(表記法も含めて)が、私にとっては極めて快いのです。
更に、どの作品にも漂う、独特の「切なさ」も。
初期の「電話男」や「純愛伝」「小説伝」「半島記」「群島記」といった短編は、とても20年も前のものとは思えないほど斬新で、現代日本の人間の姿を鋭く捉えていると思います。
10篇の多種多様な掌編を、「短編小説」というベタなタイトルでまとめた一冊もありますが、これなど密かに、「私もそのうち・・・」と憧れてしまう形です。
長編では、最初の「ゼウスガーデン衰亡史」にものすごいインパクトを感じたのですが、つい最近読んだ、松尾スズキさんの「宗教が往く」にも、よく似た読後感を抱きました。
しかし、彼の作品の中で、私がいちばんまわりのひとたちに読んでいただきたいのは、「父」です。
これまた何ともそのまんまなタイトルですし、有体に言って殆どノンフィクションなのだろうと思います。彼の実父の死後、その鮮烈な生涯を振り返る、というものなのですから。
しかし、決してそれだけではありません。
彼にこの作品を書かせたのは、「父親の死に対して完璧に無罪な息子などこの世には存在しないのだ」という思いだったことでしょうし、私ならばこの文を、「母親」と「娘」に置き換えて読みます。
同時に、ひとりの人間のもつ可能性ということ、生涯を通じてそれを追求するということについても、深く考えさせられます。
哲学的にも味の濃い作品といえますが、とっつきにくくなく、サクサクと読めてしまいます。
そしてまだその余韻の抜けない一年後、この春に出た「宇田川心中」!
夕刊に連載された作品のため、はっきり言ってエンタですが、これまた憎いほど上手くて文句なしに面白く、迸るドライブ感を素直に楽しむことができました。
また、小林さんというと、「実用青春俳句講座」「俳句という遊び」「俳句という愉しみ」等々、俳句関係の著作でもいつもお世話になっております。
「猫鮫」という俳号を名乗っておられますが、近年は専ら評論で、句は発表されないようです。
寺山修司さん亡きあと、あれもこれも、というマルチライターがいなくなって久しく、私としては寂しいのですが・・・。
ともあれ、いつまでも「文壇の玉手箱」でいていただきたいものだと思います。




霜月の句

鶺鴒や実朝の海見に行かむ

雁渡しあぢさゐに色のこしたり

星流る弥勒菩薩を待つ時間

身に入むや白墨の音こつこつと

蓼の花母に晩年なかりけり

名画座の隣は八百屋しぐれ来る

裏山の紅葉してゐる懺悔室

男ゐて何かを拾ふ冬の浜

綿虫の舞見し夜の熟睡かな

まなうらにゴッホの黄色冬ざるる


今月の長い蛇足

「人間についての未完の思考の軌跡」

人間関係の不幸の最大の原因は、双方の力のアンバランスにある。
例えば、親子関係。
親は、執着しようとする子の意思を一言の下に打ち砕くことも可能だが、逆に、望みさえすれば、当然の権利といった体で子に執着し続けることができる。
子にはこの桎梏から逃れる術がない。
それこそ凶器でも持ち出さぬ限り。(但し、こういう局面に至った場合、標的が自分かそれとも相手かという判断は、主に当人の成育歴に由来する資質・性格に委ねられる。)
そしてまた凶器は、己の鎖を断ち切れ! という甘言をもって人間に迫る。
彼は否応なく本能の疼きを感じる。
これこそが陥穽なのだ。
そしてまさにこの点が、この存在の不条理の根源、ゆえに人間を人間たらしめている部分である。
言い換えれば、ひとは誰しもシーシュポスだということだ。
果てしなく続く「労働」から、一切の軛から開放されるためには、彼岸に赴かなければならない。
此岸に停まったまま完璧な自由を得る力は、人間にはない。
それは神の領分なのだ。
モータルな存在である限り、人間は、獣と隔たっている程度には常に神と隔たっている。
これらの境界を侵そうとする者は、生命を・・・すなわち此岸の人間としての自己を差し出す覚悟を持つ必要がある。
しかしながら、たいていの人間は、そのような不遜な望みを顕わにせぬ程度には謙虚だし、死ぬまで健気に生き抜くことができる。
そのための方策として、彼等には、慣れと妥協と忘却とがあり、その上すぐれた想像力まで与えられた者もいる。
この彼岸との通底器をうまく操れるようになれたならば、例の不条理の根源を手玉に取ることも、あながち不可能とは言えまい。



(そのまた蛇足)
コレは一体何なのでしょうか。
先月の童話を読んで下さった方は、さぞ面食らっておられることと思います。
小林恭二の特異な小説である「父」を思いながら、ちょっと小難しいことを言おうかな、と書いていたら、「こんなんできました!」(笑)
まだまだいくらでも続きそうなのですが、こんなモノ、読まされる方はたまったものではなかろうと思い、ここらでカットいたします。

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