0 りー's style + NOTES
12月のひと

中島敦
{1909.5/5〜1942.12/4}

明治生まれの作家で、出会いは、高校の現国の教科書に載っていた「山月記」です。
「己の珠に非ざるを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、その珠なるべきを半ば信ずるが故に、禄々として瓦に伍することも出来なかった。」
このフレーズを読んだとき、これは私だ! という確信に打たれました。
思春期の危うい刃物のようなプライドは、うまく操ることができなければその持ち主をも傷つけてしまう。いやことによると、この唐代の官吏であった李徴の場合のように、虎にしてしまうこともありうるかもしれない。
以来、私は虎になってはいないだろうかと、思春期を過ぎても、ことあるごとに自問を繰り返してきました。
そんなふうに、私にとってはとても影響の大きい作家のひとりです。
漢学者の家系に生まれ、東大国文科を出て教師になった人なので、漢文や古典、西洋文学、東西の歴史などに関する造詣の深さには、一作ごとに驚かされます。
本格的な短歌、漢詩、訳詞も多数あります。
しかし、それらの作品は、高尚ではありますが決して真面目一辺倒な堅苦しいものではなく、むしろ軽妙なタッチのものもありますし、たいていの場合、行間にはそこはかとないユーモアが漂っています。
「最近のベストセラーはどれもこれも童話ばかりだ」と、私と同世代のある作家が嘆いているのを目にしたことがありますが、中島敦の格調高い文章を読んでいると、もうこういう作家が出ることはないのだろうなと、時代の流れとはいえ、一抹の寂しさを感じます。
私が特に気に入っているのは、「古譚」(「狐憑」「木乃伊」「山月記」「文字禍」)、「光と風と夢」、「わが西遊記」(「悟浄出世」「悟浄歎異」)、「古俗」(「盈虚」「牛人」)、「過去帳」(「かめれおん日記」「狼疾記」)「弟子」「李陵」「名人伝」などですが、こうして挙げていくと、タイトルからだけでも彼の作品のもつ独特の雰囲気が伝わるのではないでしょうか。
近代の作家にはよくあることですが、彼も、ほとんど生涯喘息に苦しみ続け、33歳の若さで亡くなりました。
もし長生きをして、もっと多くの長編を書いていたら、「文豪」と呼ばれる作家たちの仲間入りをしていたことは間違いありません。
ポリネシアに移住した「宝島」の作者、スティーブンソンの日記という特異な体裁をもつ「光と風と夢」は、健康のために単身パラオに赴任し、働きながら書き続けた彼の、最後の2年間と重なります。
その結末で、亡くなったスティーブンソンに対して老いた酋長が洩らす、「トファ! ツシタラ」(眠れ、物語作家よ)という呟きは、彼が自らの墓標として用意した言葉と思えてなりません。




師走の句

出番待つドガの踊子十二月

冬凪や何も聴かざる耳ぬくし

風邪心地貝殻骨のあたりより

ジョン・レノン忌の蒼穹の冬かもめ

冬滝の風のかたちとなりにけり

月蝕の音なく進む冬野かな

水禽のこゑそれぞれに暮れにけり

冬銀河知りたくなりしわが忌日

生春巻透かしてみたる聖夜かな

墨の香の写経一巻山に雪


今月の長い蛇足

「烈女ゼルカ伝より 雪の場」

ユニバーサル歴1257年、ザーパドでは初冬から雪が降った。
その年を長雨に祟られた農民は、来年こそ豊作であろうと胸を撫で下ろし、疲れた兵達も、これで当分はゆっくり休めると安堵した。
西都城も、薄らと雪に覆われていた。
その日、朝見を終えて自室に引き取るべく独りで歩いていたラズムは、とある壷庭に、うつ伏せに人が倒れて居るのを見た。
黒の官服に、女性の髪飾り。
「何と! ゼルカ夫人」
回廊から飛び降り、駆け寄るが、もちろん自ら抱き起こしたりする訳にはゆかない。
躊躇する間に、ゼルカは自分で立ち上がった。
「驚かせてしまって申し訳ございません、摂政様」
常と変わらぬ、涼やかな声で言う。
「いや、それは構いませぬが・・・一体どうなさったのです」
「どうという事も」
俄かに彼女は、遠くを見る表情をした。
「私の育った西の山では、よくこうして、雪の中を転げ回って遊んだものです。冷りとして、とても気持ちが良いのですよ」
「しかし・・・もし地面に触れたりしたら、魂が」
「迷信ですわ」
彼女は微笑みつつ、言下に否定した。
「摂政様も、そんな事を信じていらっしゃるのですね」
「それはやはり・・・古より語り伝えられておりますから、一理有ろうかと」
「そうかもしれませんわね。私は、ここでは無法者ですから」
「これは、東方伯夫人とも有ろうお方が、何という事を」
東方伯ボラン公未亡人は、その言葉が聞こえぬふりをした。
「ほら、摂政様も、触ってご覧なさいませ。冷たくて白くて、こんなに美しい物は他に有りませんわ。それなのに、まるで泡沫のように、掌で融けてしまいます」
童女の様な、とラズムは思った。
ゼルカはもう決して若くはない。自分より二十ほど下だから、既に三十代の筈だ。なのに・・・相も変わらぬこの瞳の輝き、少年と見紛う身のこなしはどうだ。
「雪は、この地上の汚れた物を何もかも、包み隠してくれますわ。血みどろの戦場も、荒れ果てた田畑も」
この二人きりの貴重な場面に、その様な話題を持ち出して欲しくはなかった。
けれど彼女は、容赦なく続ける。
「この雪が融けて春になったら又、兵をお出しになるのですか」
「む・・・」
ラズムは、はっきりと肯うことができなかった。
長年の戦で国がどれほど疲弊しているかは、他ならぬ自分が一番よく知っていた。それに、優れた軍師としての才を持ちながら、彼女が戦を毛嫌いしている事も。
とはいえ摂政ラズムは、故テムン王の命に従い、現王スラフと国土を守る為に、戦わねばならぬ。
「この国がセーベルに勝てるなどと、よもや本気でお考えなのでは有りますまい」
余りにも率直な問いに、又しても彼は、言葉を失う。
ゼルカは、ラズムにひたと眼を据えて言った。
「ならば私は、その内、あなたを殺めることになるかも知れません」
いっそこの場で、と彼は言いたかった。
このまま二人きり、雪に埋もれて、何もかも忘れてしまえたら・・・。
真っ白い雪の中、赤い物は、流れる私の血と、あなたの唇だけ。私は、あなたの手に掛かって死へと赴くその時、初めてあなたに触れることを許されるのだ。
彼の頭の中を一瞬、その様な幻想が占めた。
或いはゼルカも、彼の瞳の中に、同じ光景を見たかも知れない。
が、ラズムの唇を出たのは、唯一つの言葉だけだった。
「光栄です」
何時の間にか又、霏々と雪が降り始めていた。二人の周りにも、間にも。
初老に差し掛かった摂政と、先王の弟の未亡人であり軍師でもある女は、唯立ち尽くして居た。
暫くを、微動だにせず。
白一色の背景の中、漆黒の衣を纏った長身の男女の姿は、影絵の様に見えた事だろう。
それから僅か四年後に迎える事となるザーパドという国の終末について、彼等が予感していたかどうかは、誰も知らない。



(そのまた蛇足)
端的に言って、構想倒れの一品です。
実は、大学時代、「○インサーガ」か「○河英雄伝説」かというような大長編エンタを書こうと(そして、あわよくばひと儲けしようと)思い立ち、年表や地図はもちろん、脇役のひとりひとりに至るまで詳細に設定を繰り返し・・・。
結局、それだけでもう満足というか充分というか、要するに飽きてしまったのですね。(笑)
今回、その終盤の部分のほんの一場面だけを、文字にしてみました。
ゼルカさん、ラズムさん、やっと出番ですよっ!
でも彼らも、こんな、原稿用紙ではない形でデビューを果たすなんて、考えてもみなかったでしょうね・・・。

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