2月のひと

大槻ケンヂ
{1966.2/6〜}

ご存知、もと筋肉少女帯のボーカリスト・・・あの、左眼に稲妻(ヒビ割れ?)メイクの長身のおニイさんです。もうずいぶん前からスキンヘッドですが。
私は彼の著作は、「ステーシー」などのややグロい系のもの以外、殆ど持っています。
故・中島らもさんの作品同様、独特のユーモアセンスでサクサクと読めるのにちゃんとあとに残るものがあるということで、常備本なのです。(ちなみに、どの作品かは知りませんが、彼はらもさんの小説を全部筆写したこともあるそうですね。)
深く沈潜した学生時代を過ごしたのちバンドデビュー、文筆活動、不安神経症、解散と、彼についてはよく知られていることと思いますので、ここではもう述べません。
ただ、私がなぜ彼のことを好きかというと・・・。
筋少時代は、はっきり言って歌が上手いと思ったことはありませんが、「生理的に好き」でした。読書傾向も似ていましたし。
いつか寺山修司さんのところで働きたいと思っていたところもそっくり。
彼が私と同じような病気を患っている間は、「ケンちゃん(年下なので、お許し下さいませ)も頑張っているのだから、私も頑張ろう!」という感じ。
そして今は、彼のもつ「健全さ」が大好きです。
例えば。
「人生は不幸なのだ、と思って自分の心を守っていたのでは、本当に不幸が来たときに越えられない」とか。
「努力は報われないことの方が多く、この世は不平等だけれども、捨てバチにだけはなっちゃダメ」とか。
「誰もが目的地へ着けるわけではないが、続けてさえいれば近づくことはできる」とか。
「表現者は、自分にとって気持ちのいいことを自信を持ってやり、わかるかわからないかは相手の感性にゆだねるが、衝動だけは確実に伝える」とか。
・・・どうです? イイでしょう?(笑)
かつてはサブカルに浸ったネクラなオタクにすぎなかった彼が、いつのまにかこんなに素敵な男性になっていたのです。
思えば、彼のかつての先輩であり連れであった「有頂天のケラ」は、今や、岸田國士賞も受賞した劇作家・演出家のケラリーノ・サンドロヴィッチ氏。同じく、「メシ喰うな」と歌っていた「INUの町田町蔵」は、芥川賞作家の町田康氏。
ケンちゃんも、彼らに負けずに頑張って、これからもずっと若い人たちをインスパイアし続けて欲しいと思います。




如月の句

眠る子のまなじり濡るる寒旱

冬青空音なく紙の燃え尽す

蝋梅や交番にある猫車

方丈に日の移りたる寒牡丹

春立つやねつとり赤き馬場の土

一行のメールの届く西行忌

春雪や聖徳太子七歳像

地球儀の北半球に春の塵

鶯と間合を詰めてゐたりけり

囀や心臓模型赤と青


今月の長い蛇足

「オリオンズ・ベルト」

灯油缶のゴミ箱に啓一が空き缶を落とした音が、深夜の住宅街に谺した。
「啓ちゃん、ウルサイよ」
「そう?」
生返事を返す彼の横顔を、道子は見つめた。
美しいアーチ型の眉にツンと尖った鼻、どうかするとちょっとワルそうに唇を歪める癖。男の形容としては妙だが、蓮っ葉な、という言葉がぴったりする。
出会った頃はそこに抵抗があったものだが、今では道子は、彼が、誰だったかの言った理想の男性の条件・・・「少女の心と少年の瞳とスポーツマンの脚と大人の精神」を全て備えていると思う。
夫とは別種の、ひとつ年下の男。
わたしは一体どうしたいんだろうという、もう幾度となく繰り返してきた問いを反芻してみる。
「寒っ!」
啓一が不意に背中に凭れかかってきた。
「早く飲みなよ。部屋に入ろう」
道子は、飲みかけのコーヒーの缶を強く握り締めて振り返った。
「啓ちゃん・・・わたし、やっぱり帰る」
「帰る? 裕(ひろし)さんが出張だから今日は泊まるって言ったのは道子じゃないか」
「うん・・・でも・・・ごめんなさい」
「なぜ?」
「なぜって・・・その、うまく言えないんだけど・・・」
「いわゆる、罪の意識ってやつ?」
「かな・・・」
「OK、じゃあ、こんなのはどう?」
啓一は、ジャンパーのポケットを探り、一枚の硬貨を取り出した。
「コイントス。考えてもどうしようもないことを決めるのに、よくやるんだけど」
道子は頷いた。
恋に落ちたのが偶然ならば、これもまた偶然の手に委ねるというのも潔くて良いかもしれない、と思ったのだ。
「なら、表が出たら、このまま解散。ふたりで夜空を眺めながらお茶しただけってことで、すっごく安上がりのデートだったね。で、裏が出たら、俺の部屋にお泊まり。いい?」
「了解(ラジャー)」
啓一の掌の上でコインは見事な放物線を描き、握った手はゆっくりと開かれた。
「表だ」
「ちょっと待って」
かすかな違和感を覚えて、道子は差し出された手をさっと掴んだ。
「あっ駄目っ!」
啓一の制止も聞かず、ひったくったコインを自販機の明かりにかざして見る。
やはりそれは、裏側同士をあらかじめ接着してある、2枚の10円玉だった。
「なあんだ」
「バレたか」
ふたりは笑った。子どものように。涙が出るほど。
道子の目には、先ほど啓一に教えてもらったオリオン座の三ツ星が、おぼろに映っていた。
もう西に沈もうとしている、大きな四角い枠に囲まれた、狩人オリオンのベルトに当たる星たち。
鎖に繋がれた檻の中の三人の囚人。
神の怒りにふれて、サソリに刺された・・・?
色も同じだし、みんな二等星なんだよ、三つ子みたいだろ、と啓一は言ったのだが。
笑いの発作が収まると、道子は冷めたコーヒーを飲み干し、音がしないようにゆっくりと空き缶を灯油缶の中に置いた。
そして、じゃあ帰るわ、またね、と言って、自分の車に向かった。


(そのまた蛇足)
映画「tokyo tower」の宣伝コピーに、「恋とはするものではなく落ちるものだ」というのがありました。結構気に入っているのですが、やはり人間には2種類あって、例えば道子さんは「落ちる」人、啓一くんは「する」人なのではないかと思います。
まあしかし、こんなふうな話は、古今東西山ほどありますね。
今更私が作らなくとも、とは思いますが、短いのでお許しをいただきましょう。
それにしても・・・私がこの手の小説のうちでは白眉だと思う、チェーホフの「犬を連れた奥さん」のアンナさんとグーロフ氏は、その後どうなったのでしょうか。

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