3月のひと

橋本治
{1948.3/25〜}

東京大学文学部国文科在学中の1968年、駒場祭のポスター「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている」で世間の注目を集め、以来、作家・評論家・イラストレーター・手編み作家などとして活躍を続ける、多才な人物です。
ただし私は、日本の古典はできるだけ原文のまま読むのが好きなため、彼の作品のうちで最もポピュラーだと思われる、いわゆる「桃尻語訳もの」に手を出したことはありません。
しかしながら、彼の該博な古典に関する知識と、それを面白くわかりやすく語るテクニックは紛れもなく本物ですから、「これで古典がよくわかる」は、国語の苦手な高校生たちに必ず薦める一冊です。
更に、文字通り捉えどころがないくせに何でもアリの評論集「ぬえの名前」も大好きですし、それをもっと整理整頓したような「風雅の虎の巻」は、まさに私にとって心強い「虎の巻」といえます。
そこで彼は、短歌はもちろん、歌舞伎・武士道・メディア・マンガ・演劇・踊り・恋愛などなど、実に様々なジャンルについて、それぞれの歴史背景にもしっかりと目配りしつつ、縦横無尽に表現というものの要諦を述べてゆく。
例えば。
「人間は、他人の中に魅力を発見する前にまず、自分の中に欠落を発見してしまう・・・だから恋というものはドキドキするんです。」
「論理とは美に続くものだし、美の核心をなすものは恋心である訳で・・・」
などと。
俳句については、「我々のもつもっとも短い小説」という、明快な定義もあります。
彼の書く小説も私は大好きなのですが、昨年末に出た短編集「蝶のゆくえ」もまた、見事なものでした。
中でもとりわけ、「ふらんだーすの犬」と「浅茅が宿」が凄い。
再婚した母親とその夫とにネグレクトされた挙句死んでしまう、小学校6年生の男の子を主人公にした前者は、しかし、単なる告発などではなく、おのおのの人間のもつ「業」ないし弱さと哀しみ、そしてそれらが重なり合い絡まり合って悲劇へと雪崩込んでゆく過程がひたひたと胸に迫り、読後感も決して悪くないという、奇跡のような作品です。
後者も、定年退職したばかりの夫の突然の死を通して、実に実に現代的な日本の「家庭」や「家族」のありようが、過不足なく描かれていると思います。
そう・・・初老の夫婦というのは、たいていこんなものなのでしょう。
失ってはじめて、ゆっくりと意識される絆。
彼の描く人物にはみな、ひとりひとり血が通っていると感じます。
それにしても。
なぜ男性である彼が、これほどまでに女性の内面を描き切ることができるのか。
舌を巻きつつも、不思議でたまりません。
才能、というべきなのでしょうか。
「女の中には「女」がいる、それが女を重くさせる。重い「女」を扱いかねて、それで女はけつまずく。」(「ほおずき」)などと自信を持って言われた日には・・・女である私は、一体どうすればいいのでしょう。
あるいは彼の中には、本当に「女」がひとり棲んでいるのではないかと思うこの頃です。





弥生の句

パセリ振る玉葱スープ三月来

雛の日やはじめ冷たきイヤリング

ゆるゆると五体ほどくや春の闇

三月や擦違ふ子のバニラの香

いぬふぐり子どもに長き午後のあり

海鳴のおそろし春の星やさし

寄居虫や西より響く午の鐘

鴉の巣怪しきものの突出せる

春雨や指輪ゆるみし薬指

かひやぐら堅き地球の踏み心地


今月の長い蛇足

「沈丁花」

・・・・・ぼくはこの半年のあいだずっと考えていた
ぼくの生と死とそれからひとりの友人について・・・・・
                  萩尾望都「トーマの心臓」
          1
ユイがそのことに気付いたのは、先輩たちの姿が少なくなって、学校がちょっと広く感じられる、卒業式も間近の頃だった。
その日の放課後、ユイたち図書委員のうちのヒマな数人は、3年生の未返却図書をチェックするために、図書室で作業をしていた。
「たくもう、いくらイナカの公立だからって、今どき貸出にコンピュータ使ってない学校なんて、ウチくらいだよねえ」
「そうそう。貸出カードなんてさあ、めちゃくちゃレトロじゃない?」
「ありえないよねえ」
「だよねえ。で、倉田先生が入院しちゃったからって、ウチらがセッセと手分けしてって・・・」
「でもなんか、美しくない? こういうのって」
「いえてる。涙出そう」
言いながら、キャハハと笑い転げたのは、親友のチカだ。
「チカあ、さっきから手が止まってるじゃん。喋ってばっかでさ」
「ごめーん。ユイはバリバリやっつけてるねえ。さすが副委員長! A型! エライっ!」
「はいはい。わかったから、ちょっとそのひと山、こっちにちょうだい。日が暮れちゃうよ」
「ありがと。今度また、帰りになんかオゴるからね」
「あ、オゴりはいいからさ、その代わりにアレ貸してよ。チカがこの前買ったやつ」
「あーアレねえ。面白かったよお。すんごくエロいしさあ。さすが、よしなが先生って感じ。でもああいうマンガって、ウチの親ウルサイじゃん? よかったら、ユイが持っといてよ。ユイんち、大丈夫なんでしょ?」
「うん。いいの? ありがと。じゃ、とにかく、ちょっと働こうよ」
「らじゃー、副委員長!」
笑いながら机の上の貸出カードの束に向かったユイの目に、気になる名前が飛び込んできた。
3年2組・高木晶彦。
高木先輩だ・・・。どんな本を読んでたんだろう。
返却欄をチエックするついでに、ユイはざっと書名を目で追ってみた。
芥川龍之介全集第7巻。彗星物語。中国迷路殺人事件。フラクタルって何だろう。怪しい日本語研究室。短篇小説講義。ディケンズ短篇集。封印再度。ナ・バ・テア。勝つための論文の書き方。
カードのいちばん新しい面に記入されていたのは、これらの10冊だった。もちろん、全て返却済み。
ふうん、とユイは思った。
やっぱり読書家なんだ。理系コースなのに異常に国語ができるっていう噂もあったし。・・・ま、でも、問題ナシよね。
そこで、そのカードを「済」のボックスに入れて、別のカードに取りかかる。そのままクラスの半分ほどを片付けたところで。
え! なにコレ?
ユイは危うく、声を出しそうになった。
芥川龍之介全集第7巻。彗星物語。中国迷路殺人事件。フラクタルって何だろう。怪しい日本語研究室。短篇小説講義。ディケンズ短篇集。封印再度。ナ・バ・テア。勝つための論文の書き方。
そのカードの最新面には、以上の10冊の書名が並んでいたのだ。
ちょ、ちょっと待ってよ・・・なんで高木先輩のがもう一枚あるわけ?
裏返して氏名を確認すると。
秋山さやか。
えっ、秋山先輩・・・?
「どしたのユイ、なんかヘンなのあった?」
チカが声を掛けて、覗き込んできた。
「あっ、ううん、なんでもないよ。オーライ。ノープロブレム」
ユイは作業を続けるフリをしたが、その秋山さやかのカードをさっと脇によけておくことは忘れなかった。
その上、あとで高木晶彦のと合わせて、そっくり同じ2枚のカードを、誰にも知られないようにポケットに忍ばせて家に持ち帰ることに成功したのだった。
          2
自分の部屋の机の上に並んだ2枚の貸出カードを眺めながら、ユイは大きな溜息をついた。
追いかけてる。完璧。
例の10冊以前、カードの表の面も、ふたりの借りた12冊は全く同じ。
しかもそれぞれの本は、高木が返却した日付のすぐあと、ほとんどは翌日に秋山に借りられていた。
そうだったんだ、秋山先輩・・・。
高木は、どの高校にもたいていひとりくらいいる、文武両道タイプでルックスもいい、モテる男子生徒だった。陸上部のエースで、彼が走るときにはどこからともなく女子のギャラリーが湧いてくる、というような。
ユイも、入学してすぐに、なんてステキな先輩なんだろうとは思ったが、それはもちろんただの憧れで、自分とは関係ない人なんだと、努めて気にしないようにしていた。
だって、高木先輩は、井本先輩とラブラブだし、第一あたしなんて、ほんっとにフツーの、冴えない後輩だもんねえ・・・。
彼がマネージャーの井本と親しく付き合っていることは、校内で知らない者はなかった。ふたりとも先日東京の大学に合格し、揃って上京することになったらしい、という噂も聞いていた。
秋山先輩はどこだったっけ? ・・・ええっと、F市のナントカ短大?
一方の秋山は、井本と違って人目を引くような美人ではないけれど、ずいぶん大人っぽいというか、落ち着いてしっとりした人だという印象を、ユイは持っていた。放送部で、ときどき昼休みなどにスピーカーから流れてくるその声を、なんとなくいい感じだなと思ったし。
秋山先輩・・・少なくとも今年同じクラスになってからは、ずっと高木先輩のこと、好きだったんだ。でもきっと、あの人なら、はっきり告白なんかしなかったんだろうな。
ユイは椅子から立ち上がり、ベッドに寝転がって、天井を見上げた。
忍ぶ恋、かあ・・・。一年って長いよね。あたしがもし秋山先輩の立場だったら、どうしたかな・・・。
天井からは、子どものころから見慣れた節穴が、パンダのような顔をしてユイを見下ろしていた。
あたしはこれからどんな恋をするんだろう。
そのパンダに向かって、ユイはつぶやいた。
          3
翌日ユイは、高木と秋山の貸出カードを、またこっそりともとの「済」のボックスに戻した。
そうしておけば、きっともうそのまま、誰の目に触れることもない。倉田先生がもう一度チェックし直すなんてこともないだろうし。
秋山先輩の秘密を、他の人に知られたくない。
なぜだか、ユイはそう思った。
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帰り道、チカと別れてひとりで家の近くまで来ると、坂本さんちの角を曲がったとたん、なんともいえない色っぽい香りがした。
あ、沈丁花だ、とユイは思った。
もう咲いてるんだ。
そしてその香りの方へ歩きながら、自分が誰かに好きになってもらうことじゃなくて、自分が誰かを好きでいることの方がずっと大切なんだと感じたような気がした。




(そのまた蛇足)
橋本治もときどき書く、ジュヴナイルです。
しかも、そのうちの一冊「花物語」の中には、ズバリ同名の「沈丁花」もあります。
もちろん内容は全く違いますが・・・実は、他に良いタイトルを思いつかなかったもので。
この話の着想・・・片想いの相手が借りた本のあとを追って読むというのは、プロローグにもある通り、かの名作「トーマの心臓」からいただきました。
そんなこんなであちこちパクりながらも、私なりの「沈丁花」を仕立ててみたつもりです。
香っておりますでしょうか、果たして。

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