4月のひと

諸富祥彦(もろとみ・よしひこ)
{1963〜}

臨床心理士・日本トランスパーソナル学会会長・教師を支える会代表・明治大学文学部助教授等々、その肩書きは多彩です。
現代のニヒリズムと闘うカウンセラー、現場教師の作戦参謀とも。
まずは各分野から、彼の代表的な著作のタイトルをご紹介しましょう。
「生きがい発見の心理学」、「孤独であるためのレッスン」、「トランスパーソナル心理療法入門」、「教師間のネットワークを高める40のコツ」、「なぜか恋が続かないあなたへ」、「さみしい男」。
このように、硬軟取り混ぜて、守備範囲の広い方なのです。
「心の声をきく」、「運命の声をきく」といったテーマで、ワークショップも開催されています。
では、彼の活動の中心であるトランスパーソナル心理学とは、どんなものなのか。
簡単に言うと、「いのちが私という形をとって生きている。宇宙のすべてのいのちはひとつに繋がっていて、人生のあらゆる出来事には意味がある」という考え方で、まさに個(パーソナリティ)を超える(トランスする)わけです。
私の大好きな、「夜と霧」の著者であり、「どんなときにも人生には意味がある」とする、心理学者フランクルの思想の流れを汲むものでもあります。
フロイトなどの、伝統的・分析的な心理学に親しんだ方からすれば、むしろ哲学、いや宗教とも取れることでしょう。
確かに、仏教の思想に傾倒している私にとっては、とても心地良い、「色即是空空即是色」の境地にも似た世界なのですが・・・。
宗教アレルギーのようなものをお持ちの方には、胡散臭い、などと、言下に否定されてしまうかもしれません。
しかしながら、現在の日本の、この閉塞的で世知辛い状況を考えるとき、突破口はこのあたりにしかないのではないかと、私は思います。
自分と周囲の人や現象を、対立するものとして捉えるのではなく、自分はその一部なのだという意識からくる安心感。
そこから生まれる、「使命をもって、生かされている」という充足感。
そのような感覚を持つことができてはじめて、個々の深いトラウマは癒され、積極的に人生に立ち向かい、心を込めて丁寧に生きることができるようになるのでは。
(しかし、何事も「できない」のではなく、「今、してない」だけだというのもまた、心安らかになる解釈ですが。)
勇気をもって、すべてを信頼すること。
自分も、他者も、この世界も。
まずは、そこから始まるのです、きっと。
次の一休禅師の言葉のように。
   この道を往けば、どうなるものか。危ぶむなかれ。危ぶめば、道はない。 
   踏み出せば、その一足が道となり、その一足が道となる。
   迷わず往けよ。往けば、わかる。「道」
いかかでしょうか。・・・仏教って、昔から、こんなにもポジなのですよ。
私には、諸富さんたちが、そのあたりを発掘(?)して下さっているように思えて仕方がありません。
また、元気のない現代日本の男性たちへのエールとして書かれた「さみしい男」は、男女の性差を踏まえた優れた恋愛論として読むこともでき、女性にもぜひ一読をお薦めいたします。





卯月の句

竹の秋髪のさきまで吾子ぬくし

きゆつと鳴るナースサンダル春の昼

春雨やむかうの見えぬ太鼓橋

囀の只中棟方志功展

朝桜息吸ふやうに吐くやうに

もう一歩踏み込んでみる春の闇

桜蘂降るや昭和の流行歌

鳥雲に主ひとりの理髪店

わたつみにわたくしの舵かぎろへり

葉桜や整骨院の経絡図


今月の長い蛇足

「ぼくをさがす旅」

ある朝 ぼくは 旅に出た
何だかわからないけれど 足りないものがあったから

ずんずん どんどん 歩いていくと
知らない人に出会った
「こんにちは」
「こんにちは」

その人はぼくに この先の道のことを教えてくれた
「どうもありがとう さようなら」
「さようなら 気をつけてね」

その人と握りあった手は ぽかぽか温かくなったので
ぼくは 元気に歩き続けた

山を登り 山を下り
くねくね道を えっちらおっちら



空と海と夕陽が あんまりきれいだったので
ぼくは 自分を忘れた
でも またたくまに 夕陽は沈んでしまい
ぼくは夜の中で ひとりぼっちだった

もう 道ばたの草にくるまって眠ろう
「明日もいいことがあるといいな」

目が覚めると 雨が降っていた

親切な人が 傘を貸してくれたので
ぼくは 旅を続けることができた
「どうもありがとう この傘はきっとお返しします」

傘を持つ手は ぽかぽか温かかった
ぼくは またまた 歩き続けた

ぬかるみ道を しばらく行くと
ワンと声が聞こえた
子犬が一匹 ずぶぬれだ
「寒いのかい おなかもすいてるみたいだね」

ぼくは 子犬を上着でくるんで 食べ物をさがした
左手に子犬 右手に傘
歩くのは大変だったけど 心は温かかった

お店でミルクを買うと 子犬に飲ませてやった
子犬は ぴちゃぴちゃと おいしそうに飲んだ

ぼくは 傘を 子犬にあげた
きっと何とかなるだろう お互いに
旅を続けなくちゃならないんだ 
だから さよなら

子犬が傘の下でおとなしくしているのを見届けると
ぼくはまた 歩きはじめた

だけど

歩くほどに 忘れ物をしたような気分になる

どうして

考えながら とうとう ぼくは立ち止まった
そして 振り返った

そうしたら

はるか遠くに 見えた
あの子犬が

走ってる こちらに向かって

ぼくに向かって

ぼくも思わず駆け出した
もときた道を 子犬に向かって

子犬をもう一度 しっかり抱きしめたとき ぼくは
もうこの旅は終わりだと思った



(そのまた蛇足)

コレは・・・童話でしょうか?(笑)
挿画があったりすると、もしかしたらサマになるのかもしれませんが。
しかし、そうするとたぶん、最近よくある、いわゆる「癒し」本になってしまいますね。
はっきり言って、相当恥ずかしいものがありますが・・・。
一応「心理学的に」書いてみたつもりですし、「出会いの季節」4月ということで、ひとつお許しを。

top
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送