5月のひと

寺山修司
{1935.12/10〜1983.5/4}

今更説明の必要もない、私にとっては「魂の師」と呼びたい人物です。
大槻ケンヂは彼のことを、UFOのようだと言いました。なるほど。
しかし、盟友美輪明宏が早くから看破していたように、彼の本質は「詩人」であると、私も思います。
劇団天上桟敷として上演された作品や映画はもちろん、小説、競馬評論に至るまで、形態は違えど、それらすべては「詩人」寺山の身体から産み出されたものではないでしょうか。
高校生の頃から、彼の戯曲や詩には、自分と同じ血のようなものを感じて、どうしようもなく惹かれていました。
初めて観た映像作品である映画「田園に死す」では、金属バットで頭を殴られたあと首を荒縄で縛られて引きずり回されるような衝撃を受けました。一生忘れません。
そして、長い大学生活の終盤、24歳のときに、突然迎えた彼の死。
「いつかは天上桟敷に」と思っていた私は、一時期糸の切れた凧となり、その後の運命も変わりました。
しかし私も、彼のように、何をしていようと本質的には「詩人」・・・自らの血や涙をもって愛と孤独に形を与える者・・・として生きたいと思います。押しかけ弟子の一人として。
彼が私たちに遺してくれた、膨大な言葉の群。
それらの中から、折にふれて私の心の支えになってくれたものを、いくつかご紹介いたしましょう。
「ふりむくな うしろには夢がない」(さらばハイセイコー)
「人生はただ一問の質問にすぎぬと書けば二月のかもめ」(ロング・グッドバイ)
「もし世界の全体を見ようとしたら、目を閉じなければ駄目だ」(青蛾館)
「苦痛から逃れようとするから駄目なんだ。苦痛に救いを見出すこと・・・それだ」(チャイナ・ドール)
「どんな鳥だって想像力より高く飛ぶことはできないだろう」(事物のフォークロア)
「私の墓は、私のことばであれば、充分」(墓場まで何マイル?)
5月に亡くなったこと、「目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹」の名句、そして、半世紀を経た今も清冽な輝きを湛え続ける第一作品集「われに五月を」と合わせて、私にとって五月とは、寺山師に捧げるべき月なのです。





皐月の句

すかんぽやこの世に会へぬ師のありし

修司忌や米屋仏具屋神隠し

緑濃きアラブの旗や夏来る

実桜やハンカチで拭くハーモニカ

青山椒手の内見えて来りけり

麦秋や途中で止まるオルゴール

揚羽蝶生るるや小町九相図

かはほりやサーカスの来る河川敷

息かけて磨く銀器やさくらんぼ

蛍火や母に習ひし反戦歌


今月の長い蛇足

「告る母」


「待ってたのよ。あなたが大人になる日を」
 ある日の早朝、というのは俺の誕生日のことだが、母は電話口でこう切り出した。
「待ってたのよ、この十年以上、毎日毎日ね。それだけを思って、ずっと我慢してきたの。あなたももう大人なんだから、母親なんて必要ないでしょ? 二十歳過ぎれば、親なんて鬱陶しいだけよね。私は、もう金輪際、あなたのすることに口出ししないわ。だからあなたも、これからは一切、私に甘えたり、期待したりしないでね」
 俺は、寝惚けながら、なかば反射的に「ああ」とか「うん」とか返事をしたようだ。
「物分かりがいいわね。じゃあ、私が何を言いたいのかわかる? そう、私、お父さんと別れるのよ。もうずっと前から決めて、このことばかり考えてきたの。お父さんには、これから話すつもり。その前に、あなたに言っておこうと思って。お父さん、きっと、すぐにはハンコ捺してくれないでしょ? 家事とか老後のこととか、いろいろどうするんだ、とか言ってね。いえね、別に、そういうのが嫌ってわけじゃないの。あの人だって、私のことを女中代わりだなんて思ってないのは、私がいちばんよく知ってるわ。そうじゃなくて、そもそものはじめから、いえ、はじめは確かにアレだったんだけど、何年も暮らしてるうちに、やっぱり違うなって。決して、どこが悪いっていうんじゃないけど、要するにウマが合わないっていうか。ほら、人間って、お互いに変わっていくものでしょ? お父さんの方だって、きっとそういうふうに思ってるんじゃないかしら。あなたが小さかった頃とか、楽しいこともたくさんあったし、いい思い出もいろいろあるけど、でも、やっぱりどこかで、これは違うなって、いつも思ってたわけ。私だってまだ四十代なんだし、あと何年生きるかわからないけど、多分まだやり直す時間はあると思うの。このままずるずる年をとって死ぬのは嫌なのよ。人生一度きりなんだし、後悔しないように生きたいの。お父さんにしたって、停年までにはまだ間があるから、単身赴任でもしたと思えばいいわ。その気になれば、再婚だってできるだろうしね」
 母はそこまで、一気に喋った。
 俺は、文字通り寝耳に水だったが、だんだん頭がはっきりしてきたので、ここで初めて、それでは母も再婚するつもりなのか、という意味のことを口にした。
 母はまた喋り出した。
「そうね、それもいいわね。今なら、若い頃と違って、相手の職業だの収入だのお互いの実家の事情だのを考えずに、純粋に好きになった人と一緒に暮らせるかもしれないものね。でも今のところ、それは考えてないわ。だって、心当たりの人がいないんだもの。そりゃあ、もう少し若い頃は、いいなと思った人とか、いろいろあったけど、そういう人たちもみんな結婚してたし、結局どうにもならなかったわけよ。でも、これから巡り合う可能性も充分あるわけだから、そういうことも、なきにしもあらずね。一応、頭に入れといてちょうだい。で、はじめの話に戻るけど、お父さん、多分、なかなかハンコ捺してくれないでしょ? だから私、とりあえず別居しようと思って。とは言っても、やっぱり先立つものが要るし、これから先、ずっと一人でやっていく算段もしなきゃいけないから、どこか物価の安い、あんまり都会でも田舎でもないような所を捜して、部屋を借りるか住み込むかしようと思うの。幸い、実家の親も、兄さんたちが面倒見てくれてるしね。友達に会えなくなるのも辛いし、いろんな手続きや何かでこっちに来る都合があるから、なるべく近くにしようとは思うのよ。でも、あんまり近くだと、やっぱり人目がね。できるだけ、お父さんやあなたに迷惑掛けたくないし。とにかく、知らない所で、自分一人の力で、とんことんまで頑張ってみるわ。・・・ああ、だけど、あなたとこんなに長いこと話したのも、ずいぶん久しぶりね」
 そこで、母は一息入れた。
 俺は、ここに至ってやっと事態の全貌がのみこめてきたので、言った。
「話したって、そっちが一方的にまくしたててるだけじゃないか。そんなこと、一人で勝手に決めるなよ。第一、いくら二十歳になったからって、子どもは子どもだろ。何だったら今すぐに帰ったっていいから、とにかく一度、親父も入れて、きちんと話し合おうや」
 しかし母は、この提案を一言の下にはねつけた。
「駄目よ。こんなこと、あなたの顔を見ながら話せるわけないじゃない。電話だから言えるのよ。私に関しては、とにかく長年の計画なんだから、誰が何と言おうと無駄よ。お父さんに話してから、また電話するわ。じゃあね。・・・おっと、忘れるところだったわ。お誕生日おめでとう!」  ガチャン。ツー・ツー・ツー・・・。
 こうして俺の、記念すべき二十回目の誕生日は、母親の劇的な告白で幕を開けた。

 一体母は、どうして離婚なんかしたいんだろう。経済的に困るのは、目に見えているのに。
 そんなに親父のことが気に入らないんだろうか。
 それほど仲が悪いってわけじゃなかった、多分。
 じゃあ、仲が良かったのかといえば、確かにそれほど良かったとは思えない。けれど、俺はとにかくあの両親しか知らないから、夫婦ってそんなもんなんだろうと思っていた。
 結局母は、何をどうしたいんだ?
「一人で、とことんまで」なんて、一体何をそんなにテンパってるんだろう。
 長年貯めこんだ、エネルギーの炸裂?
 そうか、なるほどそう考えると、わからないでもないな・・・。
 そうだな、何となく、わかる気もするな。俺が中学に入った頃から、あんまり笑わなくなったしな。きっとあの頃から、そんなこと考えはじめてたんだろうな。
 要するに、これはきっと、「生きがい」の問題なんだ。一生に一度くらい、思い切り我儘やってみたいんだろう。
 そうかそうか・・・。
 そうすると、孝行息子の俺としては、ここはひとつ温かく見守ってやるべきだな。間に立ったりして、小賢しい真似はすまい。

 その日の深夜、ウトウトしていた俺はまた、母からの電話のベルに叩き起こされた。
「もしもし、遅くにごめんね・・・」
 そう言ったきり、母は声を詰まらせた。どうやら、すすり泣いているようだ。
「どうしたの。親父に話した? 親父、怒ったのか?」
 尋ねても、なかなか返事が返ってこない。今朝とはえらい違いだ。
「どうしたんだよ。喧嘩したのか? 泣いてちゃわからんぜ」
「そんなのじゃないのよ」
 やっとこれだけ返ってきた。
「なら、どうしたんだよ。案外簡単にOKしたんで、悲しくなった、なんて言うんじゃないだろうな」
 俺が出まかせに言ったことが、どうやら図星だったようだ。
「そ、それどころじゃないの。・・・お父さんもね、わ、私と同じこと、考えてたんですって」
「え? 何なんだよ、それ。じゃあ、親父の方も、別れたいなんて言うわけ?」
「そうなのよ。お父さんも、あなたが大学を出て就職したときか、自分が停年になったときに、私と離婚しようと決めてたって言うのよ。・・・退職金のうち、私にはいくら渡す、なんてことまで考えてたらしいの。・・・ねえあなた、どう思う?」
 どうと言われても、俺はただ呆れるばかりだ。一体全体、どうなっちまったんだ。俺は今まで、こんな親に育てられていたのか?
「そ、それで、親父の方は、どうして別れたいわけなのさ」
「それもね、私とほとんど同じなの。長年働きづめだったから、せめて老後くらい、家族のことを気にせずに一人で好きなようにやってみたいんですって。私が同じ意見だとは嬉しい、なんて言うのよ。もう私、こんな人とずっと一緒にいたのかと思うと、情けなくって・・・」
 そこで母は、またさめざめと泣き出した。
「ふうん。・・・だけどそれは、親父の側にしたって同じことじゃないか。むしろ、二人とも同じことを考えていたっていうのは、お互いに好都合なんじゃないの。親父の言うようにさ。泣くほどのことじゃないぜ。・・・それとも、やっぱり、引き止めて欲しかったわけ?」
 母は、少し気を引き締めたようだ。
「まさか。・・・いえ、でも、そうじゃないとは言い切れないわね。・・・あなたの言う通りかもしれないわ。やっぱり私、少し頭を冷やしてよく考えて、お父さんともよく話し合ってみるわ」
「そうだな、それがいいよ。俺も考えてみるから、また電話入れて」
「そうするわ。・・・ごめんなさいね、遅くに。じゃあまた。おやすみなさい」
 こうして、父の告白を伝える電話は切れ、気がつくと、俺の誕生日も終わっていた。

 全く、たいした誕生日だったぜ。
 両親の告白合戦なんて、とんだプレゼントだ。もう少しマシなものをくれたっていいのに。一人息子なんだぜ、俺は。
 しかし、親父の方も別れたいとなると、こりゃあ本当に別れちまうのかな。
 まあ俺としちゃ、今まで通り仕送りさえしてくれれば、実害はない・・・だろうな、多分。就職に不利ってこともないはずだ。
 待てよ、俺、どっちの籍に入ることになるんだろ。やっぱり親父かな。名前を変えるなんてのは面倒だし・・・。
 いや待て待て、確か、二十歳になると、自分の戸籍を作れるんじゃなかったっけな。何かで習ったような・・・よし、明日、ネットで調べてみよう、うん。
 あーあ、だけど、結婚って何なんだろうな。結婚生活って、そんなにつまらないものなのか? こういうの、今多いみたいだしな。
 それにしても、親父も母親も、俺のために今まで一緒に生活してたってことになるわけだよな。そうすると、もし俺がいなかったら、今頃はとっくに赤の他人ってことなのか。
 何だか、人生って、無常だよなあ。
 俺も結婚したら、そのうちそんなふうになっちまうのかなあ。
 結局、親父も母親も、要領が悪いんだよね。どっちも真面目だから、適当にエンジョイするとか、息抜きするとか、上手にやれなかったんだな。
 母親なんて、俺が大学に入ってこっちに出て来たら、しばらくは空気が抜けたみたいになってたもんな。
 だけど、これから一人で好きなようにやるったって、二人とも、やりたいことなんかあるのかな。あんまりそういうふうにも見えなかったけど・・・。でもきっと、密かに興味を持ってたこととか、あるんだろうな。特に、親父なんて。
 人間って、本当、表面からだけじゃ、何を考えてるのかわからないもんだなあ。
 家族にしたって、この有様なんだから。
 あーあ、俺、何だか、結婚するのが嫌になっちまったよ。

 それから数日経っても、母からの電話はなかった。
 自分からかけるのも気がすすまなかったが、ちょうど一週間後に、俺は、思い切って家に電話してみた。
「もしもし、俺。・・・どう? その後」
 母は、思ったより明るい声で応じた。
「あ、ごめんなさいね、心配かけちゃって。電話しなくちゃとは思ってたんだけど、もう少し話がまとまってからなんて、ついつい一週間も過ぎちゃって」
「それで、どうなのさ。結局、別れることに決まったわけ?」
「そう、それなんだけどね」
 母は、さも言いにくそうな、もったいぶった言い方をした。
「何だよ、まさか、やっぱり別れないことにしたなんて言うんじゃないだろうな」
「実は、結論から言うと、その、まさかなのよ。あなたやっぱり、いい勘してるわ。・・・あのね、私もお父さんも、一度別れたつもりで、二人で新しくやり直そうってことになったの」
「へえ、そりゃまた、えらく円満に解決したじゃないか。一体どういうわけなのさ」
「詳しくは言えないけど、経済的なこととか、老後のこととか、病気になったときのことなんか考えると、お互い、やっぱり心細くなっちゃったのよ。それに、共通の思い出とか、いざ別れるとなると、結構何だかんだあってね・・・。とにかく私達、あれから毎晩、長いこと話し合ったのよ。喋って喋って、この十年ほどの分を取り戻すくらい、喋りまくったの。それでわかったんだけど、やっぱり私達、会話が不足してたのね。それで、お互いに自分の殻の中に閉じこもってたのよ。・・・で、これからは、何でも包み隠さずに話して、一緒に考えることにしよう、やりたいと思ったことも、我慢せずにどんどんやってみることにしようって。・・・それでね、私、今、パートの仕事を探してるのよ。ひとつ条件のいいのがあったから、今度面接に行くんだけど」
「ふうん。めでたしめでたしのシャンシャンってところだね。俺の出る幕もなかったな」
「そうなのよ。本当に、心配かけてすまなかったわ。お詫びに、パートでもらう初めてのお給料で、あなたに何かプレゼントするわね」
「なら、せいぜい頑張って、ペイのいい仕事を見つけてくれよ。期待してるからな」
「ええ、頑張るわ。決まったら、また知らせるから」
「うん、じゃ、元気でね。ちゃんと授業に出るのよ」
「あ、別れるのをやめたら、早速俺のことに口出しするわけ?」
「あら、いいじゃない、そのくらい。じゃあね」
 こうして、波乱の一週間は、その幕を閉じた。
 俺の方でも、一応、別れた両親がどちらも年をとって介護が必要になったときのこととか、いろいろと考えてはみたので、この大団円は、まことに喜ばしいものといえる。
 しかし・・・だ。
 何だか、うまくできすぎているような気がしなくもない。
 うん、匂う。確かに。
 俺の父は、あれで結構策士なのだ。
 もしかしたら、世間知らずの母が別れ話を持ち出したとき、とっさに閃いて、自分もそうだなんて言ったのかもしれない。
 だとすると、これは完璧に、親父の作戦勝ちだ。
 うん・・・いや、本当のところはどうなんだろう。そのうち、親父にこっそり尋ねてみることにしよう。


<そのまた蛇足>
この母は、断じて私ではありません。こんな箱入り主婦ではないですし。
しかしこういう話は、寺山風のアンハッピーエンドにすると、あまりにも陰々滅々、救いがないような気がして、こんなふうに〆てみましたが・・・。
やはり後味が、どこかこそばゆいですね。
いやもうはじめから、母モノではあの「毛皮のマリー」に太刀打ちできるはずがないので、おちゃらけてみたというのが本音かも。

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