りー's style + NOTES
6月のひと

時実新子
{1929.1/23〜}

現代川柳界では、間違いなく五本の指に入る方です。
けれども、句集「有夫恋」がベストセラーになったのは、50歳代も終わる頃。
それまでの長い年月は、ただひたすら「書くこと」にすべてを託して、壮絶な人生を生きてきた、見事なまでに強い女性だと思います。
幼少期はいじめられっ子で、戦後すぐに17歳で嫁いだものの、その後の辛い結婚生活は39年間にも及びます。
もっとも、48歳からの6年間は、家出をして、河川敷の掘建て小屋を「川柳展望」誌発行所兼自宅として暮らすのですが。
そうするうち、病に倒れた夫を立派に看病し、最期を看取ったあと、58歳で再婚。
このバイタリティには、本当に頭が下がります。
ご本人によると、「私は5歳のときからずっと、巨きな力によって生かされてきた。省みて被害者意識の強い半生だったが、それをバネにすることで生き継いできた。」ということだそうです。
「巨(おお)きな力」とは、いわゆる運命というようなものなのでしょうが、彼女がそれを感じ、信じざるを得なくなった感覚は、私にもよくわかります。
しかし、彼女とて決して不死身ではありません。
一女一男を巣立たせてホッとした頃、しつこいメンタル系の病気に襲われます。
が、「こんな母親がいたのでは息子の恋がダメになる」という一念で、それを克服してしまう。
凄い、としか言いようがありません。
ひとは、愛する者のためなら、こんなにも強くなれる。
そして、好きなことを精一杯しているから、元気でいられる。
70歳をとうに越えた今もなお、「川柳大学」主宰をはじめとする様々な活動を精力的に続けておられる彼女からは、いつもそんなことを教えられます。
それに、「身近な人は自分を磨いてくれる砥石」ということと、「相手を変えるにはまずこちらから」ということも。
最後に、彼女の作品の中で私がいちばん好きな句をどうぞ。
人間とはかくも深くて複雑な生き物であるということを、たったこれだけの言葉で・・・。流石。

   「じんとくる手紙をくれたろくでなし   新子」





水無月の句

青柿や音たてて吐くヨガの息

プーシキン生誕祭のさくらんぼ

蛍火忌や半ばとなりしカレンダー

蛇苺この世のはじめ静かなる

紫陽花の毬の青さや恋なかば

冷酒や早くも減りし今世紀

戦後しか知らぬ生涯南風吹く

深梅雨や声溜めて子の話しだす

あめんぼの地面へ跳ねてみせにけり

ががんぼや灯し頃の山の音


今月の長い蛇足

「時計」

   かっちこっち、かっちこっち
   かっちこっち、かっちこっち
はじめは、空耳のようだった。
けれどもその聞き覚えのある音は、ずっと続いていた。
あらいやだ、とトキコさんは思った。この時計じゃないの。

その時計は、トキコさんもよく覚えていないほど昔から、その柱のてっぺんに掛かっていた。
動かなくなったのもかなり以前のことのようだが、やはりトキコさんには、いつだったのかよくわからなかった。
それが、いきなり動きはじめたのだ。
 トキコさんは、何だか嫌な気持ちになった。古い時計が動き出すのは何か不吉なことの前触れだとか、そんな話を、どこかで聞いたことがあるように思ったからだ。
 あれは確か、昔、子どもの本に出ていたんだっけ。
   かっちこっち、かっちこっち
   かっちこっち、かっちこっち

 トキコさんは、子どもたちの家に電話しようとしかけたが、すぐにやめた。息子の嫁は、笑うに決まっている。娘の方はパートに出ているから、こんな時間にはいないはずだ。
 トキコさんは、リモコンに手を伸ばして、テレビのスイッチをつけた。

 一日中、トキコさんは、テレビのボリュームを大きくして過ごした。
 けれども、床を取って寝る段になると、テレビを消さなければいけない。
 トキコさんは、飲めるだけの量の睡眠薬を飲んでから、テレビのスイッチを切った。
   かっちこっち、かっちこっち
   かっちこっち、かっちこっち

 その音は、自分の心臓の音と重なりあって、身体中で響いているようだった。
 トキコさんは眠れなかった。
 目を閉じると、音はますます大きくなるのだ。
 誰か来たときに、はずしてもらっときゃよかったわ。時計なんて、どっちみちいらないんだから。
   かっちこっち、かっちこっち
   かっちこっち、かっちこっち

   かっちこっち、かっちこっち
   かっちこっち、かっちこっち
 トキコさんは決心した。
 あれを止めなきゃ。
 そして、のろくさと布団から這い出し、起き上がり、大骨を折って台所の椅子をひきずって来た。
 それから、やっとのことでその椅子に乗り、右手を上に、曲がった身体をいっぱいに伸ばしたとき、トキコさんは、左手を胸に当てて、石になり・・・そのまま、畳の上にどさりと落ちた。

 誰にもさよならを言えなかったけど、たぶん幸せだったんだわ。
 止めることのできなかった時計の音を聞きながら、トキコさんはそう思ったような気がした。



<そのまた蛇足>
この中の「息子の嫁」というのは、私のことです。
そう、この、小説とも呼びにくい文は、私の、亡き義母に捧げるレクイエム。
というよりも、こんなふうに突然逝ってしまった彼女が、いまわの際にこんな想いを抱いてくれていたのだったらという、甚だ甘い「願望」です。

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